モノが売れないと言われる時代に消費を研究している人のブログ

広告会社で、消費について研究するサラリーマン研究員のブログです。専門は駅の消費です。

自動運転代行の世界

今日のお台場はすごい人手であった。ちょうど今モーターショー2019がお台場で開催されている。モーターショーでこの人込み、オリンピックだとどうなるのだろう、とちょっと心配になった。

しっかし、このモーターショー、毎年どんどん面白くなくなっている。これは、車業界が変わったからなのか、私が変わったからなのか。昔は、「新しいスタイルの車です、どーん」、「車より私が主役よ、コンパニオンばーん」みたいな明るさがあったが、いまのモーターショーは<これからの未来を考える>みたいな硬さという生真面目さが、ちょっときつかった。それだけ過渡期であり、変革期ということなのだろうけど。

今年のモーターショーは、5GやらMaas、自動運転についての展示が活況だった。中でも私の目を引いたのは、たぶんドコモだったかと思うのだけど、5Gになることで、自動車をリアルタイムでリモートコントロールすることが可能になる的な展示だ。

それを見て、私はこう思ったね。<リモート運転代行>ができるじゃんと。いやむしろ、自動運転を実現する前に、タクシーやらトラックやらをリモート化する未来ってあるんじゃないかと思った。だって、運転手さんは物理的に動きたいわけでないのだから、オフィスとか家から自動運転すればいいだけの話じゃん。

タクシードライバーやトラックドライバーがリモートワークする世界、そんな世界ありませんかね?ドコモさん、トヨタさん、佐川さん、日本交通さん。

 

猫も杓子もコミュニティ

企画書を開けばあっちもコミュニティ、こっちもコミュニティ。

コミュニティという文字を見ない日はない、というのは少々盛り気味だが、商業施設も文化施設もPR施設も、コミュニティづくりを謳った企画が花盛りなのは間違いない。

 

コミュニティって何だろう?ちょっと考えてみた。

 

コミュニティとは準拠集団のことであり、その集団の構成員の準拠度の総和がある閾値を超えたときにコミュニティ状態が発現しそうである。とはいえ、個々人の準拠度が低くとも人数が多ければコミュニティかというと、そうでもなさそうなので、集団の大きさを考慮に入れて、xを各人の準拠度とする、 Σx/nという数式を考察してみた。集団の準拠度の平均を取ったものである。この平均値が“ある値”を超えたときにコミュニティが発現すると考える。

 

この数式が正しいものとすると、コミュニティには二つがある

 

  1. 構成員の多くが高い準拠度を持った集団
  2. 構成員の一部が高い準拠度を持った小集団

 

注目すべきは2ではないだろうか。熱い想いを持つ人は少なくても、集団が小さければコミュニティは発現するということである。これは肌感覚とも合う。

例えばスタバとかの大手コーヒーチェーンは、利用したことのある人、日常的に利用する人の数は多く、集団サイズはとても大きい。おそらく、強いファンの人も多いが、集団サイズがあまりに大きいので、コミュニティを感じない。

一方で、近場のコーヒー屋は幾人かの常連がいるだけだが、そもそも利用客数が少ないので、コミュニティ感を感じるのである。

 

施設づくりにこの考えを当てはめてみるとすると、コミュニティ作りの第一歩は、そこでの従業員が、その場所なりブランドに強く愛着を持っていることだろう。そして、彼らの愛着が表出されていることで、コミュニティ感が形成されると考えられる。

 

ここでの説は全く未検証であって、かなりの思い込みを含んでいるが、この論がコミュニティを形成することを期待してアップしてみる。

Geek thinking 続オタクについて

オタクにはいろいろな特徴があると思うが、最も大きな特徴として創作者としての側面が挙げられる。彼らは単なる消費者に留まらず、自身も創作者として二次創作を行うのである。その特徴が、作品世界への没入と作品世界を通じたコミュニティ形成という、皆が想像するオタクっぽさにつながっていくわけである。この創作を原点とするオタクの特徴を考えたとき、あるワードが頭に浮かんだ。「小商い」である。いまのマーケットを俯瞰すると、マスではなく、「小商い」と呼ばれる小資本活動に注目が集まっているが、その活動はオタク活動そのものではないか。コーヒーオタクの店主が作る世界観と、そこに群がるファンコミュニティ、ちょっと排他的な感じがするところも似ている。そして、最も注目すべきが小商い的なものが、副業や生き甲斐という文脈の中で、非常に肯定的に捉えられ、誰もちょっとやってみようかなと思っている昨今の状況である。皆がオタク的なプロシューマ―に“なっている”とは思わないが、皆がオタク的なプロシューマ―に“なろう”としている、憧れているのは確かであろう。であるならば、好きをこじらせるチカラ、すなわち「オタク力」というのは誰もが憧れるチカラであり、そのチカラを向上させる方法論や考え方は売れるということである。もしかすると、次のビジネス誌のトレンドワードはオタクシンキング、かっこよく書くとGeek thinkingというメソドロジーかもしれない。どっかに持ち込んでみようかなと、副業に憧れる自分は思うのである。

オタクを追いかけろ

2012年ごろ、野村総研電通がオタクマーケティングについて盛んに発信をしていた。残念ながら、その火は消えてしまった(と思う)のだが、改めてその内容を確認すると、これがなんとまぁ、いまの消費者トレンドにはまっているのである。曰く、オタクは二次創作を行い、その創作物がコミュニティを形成し、さらなる消費を作ると。極めて大雑把にまとめるこんな感じのことが書かれているわけであるが、クリエイティブとコミュニティが消費のキーワードとして語られる昨今の時代感に呼応するではないか。もし仮に、一般の消費傾向がオタク的になっていて、それが今後もさらに進むのであれば、未来の消費を作るヒントはオタクや秋葉原に眠っているかもしれない。

2020年以降の地域活性化

地域活性化が方々で議論されている。そのほとんどで「量的拡大」が目指されている。経済の拡大、人口の拡大である。一方で、豊かになるという地域活性化の目標を見定めれば、量的拡大以外の新たなパースペクティブが見えてくる。

精神的に豊かになるみたいなこともあるのだろうけど、そうではなくて、ライフサイクルを見据えた豊かさってあるのではないかということを言いたい。

日本の地域を人間に例えると、いわゆる老年期の地域も沢山あるわけで、人口の拡大なんて、どう転んだって無理なわけです。そんな地域を捕まえて、やれリモートワークだ関係人口だなんて夢を見させるのではなくて、もう諦める。そして諦めたうえで、豊かなクロージングとはなにか、どうあるべきかを考え、そこに予算を投下する方がよっぽど良いかもしれない、と地域活性化について思う今日この頃。

都市計画法50年・100年記念シンポジウム第2弾「都市計画の領域と新展開-新たなフレームの構築に向けて-」

都市計画法50 年・100年記念シンポジウム第2弾|都市計画法50年・100年企画特別委員会|公益社団法人 日本都市計画学会

に参加してきた。それについてのメモ。

 

1人目は、社会学阿部真大先生。社会学と都市計画との接続について。

近代は、性別役割分業に特徴づけられる「近代家族」が多数を占めていた。だからこそ、都市計画は近代家族に合わせていればよかった。都市計画は普遍性をもっていた。

ところがポスト近代の今は、ライフスタイルが多様化している。近代のモデルが想定していなかったようなライフスタイルの人々(共働き世帯、おひとりさま、専業主夫プレカリアート、独居高齢者)が現れている。そうした人々をどのように包摂すればいいのだろうか?

ただし、すべて包摂すればよいのか?90年代のポスト近代論では、包摂すること自体の問題を指摘。むしろ、余白や、計画されない部分をいかにつくるかが大事では。たとえば、暴走族は学校以外の居場所を提供し、ある種の就職サポートの機能も持っていた。

無自覚に「包摂」に重きがおかれ、余白や無駄=計画されないものをどう組み込むか、という視点が不足しているのでは?

「権限移譲の場」をつくれたらいいんではないかと、私たち(研究所)はしばしば議論するんだが。権限移譲=計画しない場をつくっても、使われないケースもある。これは、やりたい人がいる場でつくらないからか、つくられた場は余白として受け止められないからか。あるいは、権限移譲がうまくできていないからか。

ところで、4名の方の発表を受けてのパネルディスカッションでは、余白はむしろクリエイションになるんではという指摘があった。包摂されなければならない人と捉えるよりも、共創のメンバーとして捉えるといったことなのかと思う。

 

2人目は、生態学の三橋さん。兵庫県人と自然の博物館の研究員。

三橋 弘宗 - 兵庫県立 人と自然の博物館(ひとはく)

自然再生はほとんど不可能。再生には10何年も、代償地は10何倍もかかる。

一方で、希少種の保全エリアとして指定されているエリアも開発されてしまう。そこで、重要な場所の事前周知と集約、治水・観光などのシナジー効果を発揮する、小規模適正技術※の引き出しを増やす、といった地域のレジリエンスを高めるしかない。

(※小規模適正技術:たとえば、5万円で、数時間で作れるような設えでもオオサンショウウオの生態を守れる。小学校の授業で小さな自然再生を取り込んだり。)

アセスメントには限界があり、都市計画法のなかで保全区域を担保する制度が不可欠。

 

3人目は、ナビタイムから独立した太田恒平さん。

移動時に使用する経路検索システム。検索してトップに表示される経路の選択率は7~8割にものぼるという。つまり、検索の表示順位が鉄道や有料道路の売上に影響する。

また、検索データにより、交通の状況や、移動需要の予測も可能になるという。ただ、現在のところ、情報提供の量的なインパクトが出せない、データからの改善案が実施されないといった課題がある。それに対しては、オープン化が解決になるのではないか。実際に、バス業界ではオープンデータの活用が進み、太田さんもインサイダーとして中から改革したことで、運行改善がなされた。

 

4人目は、保険・リスクのシンクタンクの原口真さん。

地球環境の変動が大きなリスク、経済的な被害をもたらしている。風水災による支払保険金や土砂の撤去費は相当なものになっている。

そうした状況にある現代で、ESG投資が開始(2015)。不動産開発は「財務価値>>>非財務価値」という20世紀型から「財務価値×非財務価値」の21世紀型になっていく。

ゲンロンカフェ「大山顕のすべてーー『立体交差』刊行記念&『スマホの写真論』単行本化カウントダウン」メモ その2

表題の講演会のメモ その2。

genron-cafe.jp

 

◆展示の演出について

911メモリアルミュージアムポートレートが展示されている。対象そのものを見せるのではなく、それを見ている人を見せるという演出。また、建物跡を穴で表現し、ミュージアム自体を地下に配置。記念碑を置いているわけでもない。

Museum | National September 11 Memorial & Museum

記念碑を置くというよりも、体験で感じさせている。土木は敷地と接続し、土地を引き受けるが、建築は敷地と縁を切る。911ミュージアムは土木的で体験的。建築(記念碑)ではない。

侵華日軍第731部隊罪証陳列館、九・一八歴史博物館は、テーマパークかのような演出の巧みさがある。

侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館 クチコミガイド【フォートラベル】|Site of Former Japanese Gern Corpe.No.731|哈爾濱

2019年 沈阳“九一八”历史博物馆へ行く前に!見どころをチェック - トリップアドバイザー

一方、あさま山荘事件は全く歴史的保存の動きがない。速水氏は毎年現場に行っている。行かないとわからないリアルがある。

ジブリミュージアムは、テーマパーク批判か?あるいは、究極のテーマパークか?順路もなければ、キャラクターもいない。スタッフは案内・説明もしない。ただ、ジブリの世界観である勤勉さを体現して、掃除をする姿などを見せている。

四日市公害と環境未来館では、公害にあった方の声が聴ける。公害の被害にあった方も、工場夜景は美しいと思った、という。

四日市公害と環境未来館

 

 最近、「布置」という考え方を知った。布置とは、コンセプトありきで始めるのではなく、やった結果、意味が見えてくるということ。大山氏の活動も布置的であり、それが現代的な在り方なのかと思う。

 

ところで、ゲンロンカフェのTwitterでダイジェストが公開されていたが、見事に自分のメモと一切かすっていなかったというオチ。我ながら、主要部分をこうまで華麗にすり抜けられるとは…と感心。

 

togetterも貼っておこう。

togetter.com