イノベーションの話をしていたはずが「食」の記号に全部持っていかれた話
イノベーションをテーマとしたワークショップに参加してきたのだが…
そこで、イノベーションのカギは「信頼」だとか、
(オープンイノベーション、コラボレーション…といったキーワードでわかるように、信頼して開示したり、信頼して共創することが必要)
信頼のポイントは「しがらみ」に向き合うことだとか、
もしかすると、女性の方がしがらみが少なく、イノベーションを起こせる可能性があるのではないかとか、
イノベーションとは、持続可能な成長や社会的公正、共通善の達成のために、問題の転換を仕掛けることだとか、
世界ではESG投資が2000兆円を超しているのに日本では56兆円にとどまるとか、
でも一方で日本も貧困、格差問題が生じていて、人口の3割は年収200万円以下だとか、
世界の大きな問題として貧困や、飢餓があって、持続可能な開発目標(SDGs)では17の目標が定められた、
といったことを聞いていたわけです。
が、突如そこに現れた これ!
2番を拡大して見てください!
これ!
こ、これは、、、
これは、、、
これは、、、どう見ても「ラーメン」。。。
ワークショップの後、別の人に画像だけ見せたら、やっぱり「ラーメン」とのこと。
世界のみんなも、やっぱり、まず「食」は「ラーメン」なんだ!
飢えてるときはやっぱり「ラーメン」なんだ!
自分の視点のくだらなさにびっくりしつつも、全世界の共通の「食」の記号が「ラーメン」ぽいというのはすごく気になりました。
(ヨーロッパ、アフリカほかで聞いたら「シチュー」とか「おかゆ」とか、ちゃんとその国の国民食に見えるんですかね)
追記(2018/2/23 13時)
SDGsモデル都市ができるようです。
奥谷孝司さんとセミナーと新刊「世界最先端のマーケティング」と
本日は奥谷孝司さんのセミナーに参加してきた。
テーマは、チャネル・デジタルトランスフォーメーション。
だったのだが、私が感じたことを最初に挙げてしまいたい。3つあります。
アプリは魔法の杖ではない。というか、そもそもシンデレラじゃない子をお姫様にはできないということ。もともとのブランドの力がない限りは、アプリほかデジタルツールに手を出しても急成長するはずがない。(余談だけども、Fテレビのディレクターになった知人曰く「女の子は髪型と服装をおしゃれにすれば誰でも美人になれる」)
もう1つは違う業界から参入したほうが画期的なことができる。つまりは、違うビジネスモデルに取り組めないか考えたほうが健全かもしれないということ。(TSUTAYAがポイントビジネスだけではなく、図書館やマンションなど場の運営・空間のコンサルティングをしているのも、その一例だと思う)
さいごの1つはデジタル化して、顧客のデータをとれるようになっても、人の気持ちや理由まではとれないということ。「やらなかった」こともデータでは取りづらいのではないか。(つまりは、すべてがわかる魔法はやっぱり無いってことですね。)
だったのだが、上記はセミナーの主旨と全然違うので、以下、真面目にレビュー。
***
チャネル・デジタルトランスフォーメーションはなかなか進まない。その理由はそれが店舗オペレーションと捉えられているから。例えば、Amazon Goも巷では無人レジが取り上げられがち。だが、無人レジが重要なのではなく、AmazonがECだけではなくリアル店舗での顧客データも取り始めたということに意味がある。Amazon Booksの見方も「これで利益が出るのか?」ではなく、オフラインでも会員を優遇するという価格提案の実験とみる。(ちなみに、Amazon Booksの収益はほぼゼロ(!)と言われているそうです。) つまり、チャネル・デジタルトランスフォーメーションは店舗オペレーション
<事例>
・DIFFERENCE
・ZOZOSUIT
・Warby Parker
・THE MELT
いずれも、店舗に来る前から事前の顧客接点(=アプリでの予約、決済等)があって、店頭では体験が重視されている。デジタル化は、接客の不要化ではなく、高度化。これまで、
(また、余談になるけども。日本の接客は極端だと思う。極端に作業化するか、極端に「お客様は神」になる。ニューヨークで感じたのは、店員のフランクさ。友達のように挨拶もするし、雑談もする。日本でも、上下関係ではないフラットな関係をつくったほうがいいのではないでしょうか?最初は抵抗があるかもしれないが、そのうち慣れると思いますし。そのほうが店員も客も幸せになれそうですし。詳しくは、改めて日記に書きたいと思います。)
顧客時間をどう使うかが重要。店舗に行くことはそもそも楽しかったのか、再考の必要がある。レジ待ちの行列など、面倒でできれば省きたい時間もあったのではないか? 店舗は、物販の場(モノを買う場)から、体験の場、パーソナライズ化へ。
***
以上、セミナーのレビュー。(「真面目にレビュー」と言いつつ、かなり余談が挟まれたが…)
また、セミナーにて一足先にゲットした新刊『世界最先端のマーケティング』についても簡単にレビュー。
・オンラインvsオフラインという対立で考えずに、顧客はどちらも行き来しながら買い物をする。Amazonのような元の軸足がオンラインにある企業は「店舗ありき」という呪縛がない分、チャネルシフト戦略ができる。また、アパレルのようなオフラインでの体験が重要だと考えられていた業界こそ、斬新なチャネルシフトが生まれる可能性がある。
・デジタル化により、顧客は「個客」となって顧客像の把握と、個別提案がしやすくなる。また店舗だけではないメディア、アプリ、商品、SNSなどすべての接点をチャネルだと考えるべき。(背景には顧客にチャネルの主導権の移った、ことがある)そして、一連の体験を最適なものにできる。(余談ですが、この「最適」という言葉は曲者になってますが)
・顧客基点で、顧客体験や顧客時間を設計していくと、待ち時間や在庫スペースといった無駄な時空間も省け、店舗は良い体験の提供に注力できる。
(本当に僭越な言い方ですが)奥谷さんがおっしゃることはその通りなので、考えていなかった方は早くやってください、と思うのですが…
ここでの前提は、ブランドが出来ている企業のことや、「買いたい」と思っている状況下のことが主かと思う。しかし、そもそも「買いたい」とも思っていない人とどう繋がり始めればよいのか?ということも、かなり深刻な問題なわけで。最近、私どもは後者について研究をしております。
結論。
今回のセミナーで最も学んだことは、新刊タイトルの「世界最先端のマーケティング」は編集者の作った釣りワードで、本当のタイトルは横に小さく書いてある「顧客とつながる企業のチャネルシフト戦略」だった、ということです。
書籍 南後由和 『ひとり空間の都市論』
南後由和先生の『ひとり空間の都市論』読了。
平たい言い方&上から目線の響きになってしまい恐れ多いのだが…面白かった!この本では「ひとり」を肯定したり否定したりするのではなく、その生態(状況?)を記述している。そして、どのような「ひとり空間」がありうるか、という問題提起がなされてると思うのだが、その点が面白いし、すっと読めた。
「ひとり」を状態としてのひとりと定義しているところが面白い。特に、日本は組織外に出ると孤立性を高めるからヨソ者とコミュニケーションをはかることが苦手、という指摘は、海外ではサードプレイスがコミュニティになるのに対して、日本ではサードプレイスで直接的なコミュニケーションが生まれない理由であるし、海外では店舗で店員と客との距離が近くて会話が発生するのに、日本だと客は店員を無視したり避けたりする理由なのかと感じた。
黒川紀章の中銀カプセルタワーについて。黒川さんが解説してるビデオを見た限りでは、構想ではカプセルをそのまま船に乗せて旅行に行けるように考えていたから、あのカプセルは住居というより別荘的な位置づけだったのかと思う。鴨長明が都から歩ける位置に方丈庵をつくり、黒川さんのカプセルでは郊外に庭付きの家を持ちながら都市に埋もれてひとりになるという対比が、それぞれの時代を表していて面白かった。私たちの時代の方丈庵は、ノートPCかスマホを持って、カフェやフードコートで過ごすひとり空間なのかなと思った。
住宅金融公庫による90年の住宅意識調査によると、住んでいる家の間取りが多いほど住居に力点を置いていて、間取りが少ないほど余暇、レジャーに生活の力点を置いているという結果。だいぶ前の『10+1』にも、後者のような住まい方提案がされていたことがあった。家は狭くても都市の中に暮らしの機能があればいいという提案はいいけど、一方で夜更けのファミレスをリビングがわりにして、うたた寝してる高齢者を見ると、まだまだ受入先の都市が整ってないかも、とも感じる。
シェアハウスにおける個室の意味は久保田裕之氏によればプライバシーの砦というよりも象徴的な意味合いが強いとのことだが、『混み合いの心理学』によると個室を持たないカップルは別れる確率が高いとのことだから、やはり個室は心理的に実作用があるんだろうと思う。しかし、チェルフィッチュの岡田さんも言うように、今の若者はSNSなどの影響で見られることを得意としているから、シェアハウスにおけるプライバシーも、もしかすると、"掲示板"時代の私とは違う感覚で捉えてる可能性もあるのかもしれない。
70年代以降のワンルームマンションが切断指向だと指摘されているが、考えてみれば、安藤忠雄の住吉の長屋も70年代にできたもので、やはり都市とか街に対して閉じたものになっている。70年代の時代の要請がわかった気がした。
装飾は流転する展
装飾とは何か?
聖書の飾り枠や装丁、
建築の柱のオーダー、
音楽の装飾音、
タトゥー、メイク、
はたまた日本建築の格天井や、
障子の桟、
もある種の装飾だと思う。
「装飾は流転する」展の感想コーナーを見たところ、「ムダだけど、無いと寂しいよね〜」というコメントが多いようにも感じた。けれども…装飾は神に捧げるものだったり、権威の象徴だったり、男女の識別だったりする。装飾そのものに意味があったりする。また、装飾と装飾ではない部分を分かつこともできなかったりする。すると、装飾=ムダ=役に立たないもの、省けるものというわけでもない。
さて、では、なぜ今、装飾なのか?
朝日の論評はおいておいても、確かに現在の日本では、男女ともにスニーカー・キャップ・リュックという格好で男女の識別がない。一般の人が宗教的・儀式的な着衣・アクセサリーをつけるでもない。金の細工がついた仏壇なども自宅に置かれなくなった。権威を示すようなアクセサリーもあるかもしれないけれど、天皇も首相もスーツとネクタイという意味では一般人と同じだ。(住空間やその他雑貨などの持ち物は一般人とは違うのかもしれないが、権威の象徴として目に触れることはあまりない)
では、今、「装飾」と聞いてイメージされるものはといえば? スマホケースのデコ、ネイルアート、デコポッキー・アイシングクッキー・キャラ弁など食品のデコ…または、「盛る」という言葉で表されるような、インスタ・プリクラ画像の加工や、盛り上げた髪型…もしくは、デコトラやヤン車・族車、痛車…などが挙げられるのではないか。
パッと聞いた限りだと、これらの装飾はやはり「ムダだけど~」となってしまいそうだ。でもこれらも「象徴」や「識別」なのだと思う。たとえば、
スマホケースのデコ、ネイルアート=キラキラ女子の象徴
アイシングクッキー・キャラ弁=生活を楽しんでいる象徴
インスタ・プリクラ画像の加工=リア充の識別
ヤン車、痛車=ヤンキーやオタクの識別
つまり、装飾が属性を表していて、装飾そのものに意味があるのだ。現代の日本においても、装飾は決して「ムダ」なものではない。そう考えると、かつての儀式等で必要だった装飾と、現代の装飾は表され方が違うとしても、同じ役割を担っている。つまり「装飾は流転」しているのだ!なるほど!(Decoration never dies, anyway. という英題のほうがわかりやすい)
と、ここまでで、展覧会の大本の意図はつかめたのだけれども。ひとつひとつの作品の意図を読み取るのはなかなか難しいものがあった。 ヴィム・デルヴォワの作品はわかりやすい。グローバルで老若男女使うスーツケースという象徴・識別できないものに、イスラム装飾を施すことで、急に、「誰の持ち物?」「アラブの方のでは」と答えられるものになる。(むしろ、スーツケースが世界共通といっていいほど一様なものだったことがすごいと気付かされた) ニンケ・コスターの作品も、「様式」を写し取ることで、その土地や時代を離れ、さらに素材を離れても、それが何なのか識別可能となっている。装飾の役割が非常にわかりやすかった。 逆に日本人の作品の読み取りは難しい…(もしかして、私が日本人だからわからないのかも? 違う文化圏の方が見るとわかりやすいのだろうか…)
山縣良和のwritten after wordsは、過去に見たアンリアレイジ等との展示でもピンと来なかったけど、今日もピンと来なかった。(よくわからなかった)
展覧会は2/25までです。行かれた方は、ぜひ山縣良和の作品の意図、位置づけを教えてください。。。
< >の次に来るもの
次に来るもの、と題してみたものの…一体、今、何が来ているのか知らない。だが、あえて言いたい。「次に来るのは国学ブーム!」と。
歴女、刀剣女子といった戦国もの…
民芸…
歴史的なもの、日本的なものにここ数年目が向いていると思う。ただ、これまでの注目のされ方は「日本もまだまだやるじゃん!」「日本てやっぱりスゲー」という関心だったのではないか。しかし、成長への望みも限界を迎えているようにも思う。すると、もっと割り切った上で、日本のアイデンティティを模索するようになるのではないだろうか。(イタリア、ドイツも日本より早く人口減少の傾向が現れ、人々の関心が国内や、暮らし方、さらには生き方に向いているようである。) 「日本人とは」という精神性を求めて、さらに歴史を遡り国学を探求するのではないか。ちょうど2020に東京五輪という契機があって、「日本とは」を問われるわけだし。
国学について気になってきた方には下記がおすすめ。日本の神は生成するだけでなく、死とも密接。生と繁栄とを望めないこれからの日本は、失い方、失った後のあり方を国学に参照するのではないか。
『この世界の片隅に』も流行りましたが、同じ作者の下記も来る! …かもしれない。古事記はまさに、いきなりイザナミさんが亡くなるし。
さらに「お祭り女子」も来る! …かもしれない。神輿を担ぐといったハレな行為でもなく、いわゆる「スピリチュアル」でもなく、真剣に儀式の精神に迫る女子が増える!…かもしれない。ちなみに私は、大根を拝んでいるようにしか見えない能登の奇祭が気になって仕方ないです。
改めてマガハが凄いと思った話
「OLD FASHIONED」なるマーケットイベントに行ってきた。学芸大学にあるグロッサリー「FOOD&COMPANY」の内装を手掛けた設計事務所「スタジオドーナツ」が仲間を誘って開催したという。
「FOOD&COMPANY」には何回か行っているが、関東近郊の甘いミカンやら国産ワインやら美味しいものが売っているので、なんとなく好きなお店。つまりは、今回のマーケットイベントも期待できるのでは…ということで行ってみた。
(「FOOD&COMPANY」は下記が詳しい。私が行ってみた直接のきっかけも下記。)
2万円分の雑貨を衝動買いし、結果的に満足度は高かった。が、こういったクリエイター系マーケットで気になる、「あ、どーもー」「来てくれてありがとー」といった雰囲気が今回もあった。なぜクリエイター系のマーケットは内輪感が強くなるのだろうか。一方で、内輪感が強いものの、孤高とは別物で、雑誌ブルータスで紹介されるような大衆化されたものにもなっている。(一緒に行った友人曰く「何でもライトにしちゃえるマガハはやっぱすげー」) 思うに、今やいわゆるファッションは一部の好意層=ファッションオタのものになったように、実は、クリエイター系=ていねいな暮らし系も一部のオタクのものなのではないか。
ちなみにかく言う私はていねいに暮らせない系です。
キリン「生茶」のお茶ミュージアム「お茶のいろは by Namacha」
キリン生茶のやっているミュージアムに行ってみた。
「お茶のいろは by Namacha」オープン|2017年|ニュースリリース|キリン
まず始めに、同じ茶葉から淹れた2種のお茶をいただく。最初に、相対的な比較ができるのはわかりやすい。スタッフより「どちらがお好きですか?」とアンケートをとられた。(たぶんここでは「甘味のあるお茶が好き」が正解なんだろうけど、私は苦味と答えました。暑いときは苦いものが美味しいから、さ…仕方なかった…)
二階はお茶の製法などの展示になっている。でもせっかくなら、実際に作業をやってみられるなど、工程を体感できるようにしたほうがよかった。「アニメーションだけなら、ウェブで見ればいいのでは…」リアルな場にわざわざ来ているのだから、お茶を揉むとどうなるのか、などを体験したかった…
最後は日本茶インストラクターに淹れ方のレクチャーをしてもらう。やはり人に説明してもらうのが一番わかりやすいし、面白い。
甘味のあるお茶、苦味のあるお茶のそれぞれに最適なお菓子も出してもらえる。ナルホド、食べ合わせも重要だと感心したが、なんとこれはここでは食べられない。お土産として持って帰るのである。お客さんを回転させるためにはやむを得なかったのだろうけど、ちょっと寂しい…(´-`).。oO
とはいえ、お茶の違いも再認識し、(私は中学の家庭科で習ったのを覚えていたが、同行者は初耳らしく感心していた)美味しいお土産も貰えて、800円(入場料)。「日本茶インストラクターなんて資格があるのね〜」などという小ネタも仕入れられ、なかなか良かった体験かと思う。生茶も、単なるお茶から、淹れ方の違うお茶という意味のあるものにもしっかりなった。(が、今後買うか?と聞かれたら「そうでもない…」のがマーケティングの難しさ)