モノが売れないと言われる時代に消費を研究している人のブログ

広告会社で、消費について研究して発信しているサラリーマン(広告会社なのに、もらった名刺の肩書が「研究員」になっていてびっくりした笑)のブログです。

装飾は流転する展

装飾とは何か?

 

聖書の飾り枠や装丁、

建築の柱のオーダー、

音楽の装飾音、

タトゥー、メイク、

はたまた日本建築の格天井や、

障子の桟、

もある種の装飾だと思う。

 

「装飾は流転する」展の感想コーナーを見たところ、「ムダだけど、無いと寂しいよね〜」というコメントが多いようにも感じた。けれども…装飾は神に捧げるものだったり、権威の象徴だったり、男女の識別だったりする。装飾そのものに意味があったりする。また、装飾と装飾ではない部分を分かつこともできなかったりする。すると、装飾=ムダ=役に立たないもの、省けるものというわけでもない。

さて、では、なぜ今、装飾なのか?

 

www.asahi.com

 

朝日の論評はおいておいても、確かに現在の日本では、男女ともにスニーカー・キャップ・リュックという格好で男女の識別がない。一般の人が宗教的・儀式的な着衣・アクセサリーをつけるでもない。金の細工がついた仏壇なども自宅に置かれなくなった。権威を示すようなアクセサリーもあるかもしれないけれど、天皇も首相もスーツとネクタイという意味では一般人と同じだ。(住空間やその他雑貨などの持ち物は一般人とは違うのかもしれないが、権威の象徴として目に触れることはあまりない)

では、今、「装飾」と聞いてイメージされるものはといえば? スマホケースのデコ、ネイルアート、デコポッキー・アイシングクッキー・キャラ弁など食品のデコ…または、「盛る」という言葉で表されるような、インスタ・プリクラ画像の加工や、盛り上げた髪型…もしくは、デコトラやヤン車・族車、痛車…などが挙げられるのではないか。

パッと聞いた限りだと、これらの装飾はやはり「ムダだけど~」となってしまいそうだ。でもこれらも「象徴」や「識別」なのだと思う。たとえば、

スマホケースのデコ、ネイルアート=キラキラ女子の象徴

アイシングクッキー・キャラ弁=生活を楽しんでいる象徴

インスタ・プリクラ画像の加工=リア充の識別

 ヤン車、痛車=ヤンキーやオタクの識別

つまり、装飾が属性を表していて、装飾そのものに意味があるのだ。現代の日本においても、装飾は決して「ムダ」なものではない。そう考えると、かつての儀式等で必要だった装飾と、現代の装飾は表され方が違うとしても、同じ役割を担っている。つまり「装飾は流転」しているのだ!なるほど!(Decoration never dies, anyway. という英題のほうがわかりやすい)

 

と、ここまでで、展覧会の大本の意図はつかめたのだけれども。ひとつひとつの作品の意図を読み取るのはなかなか難しいものがあった。 ヴィム・デルヴォワの作品はわかりやすい。グローバルで老若男女使うスーツケースという象徴・識別できないものに、イスラム装飾を施すことで、急に、「誰の持ち物?」「アラブの方のでは」と答えられるものになる。(むしろ、スーツケースが世界共通といっていいほど一様なものだったことがすごいと気付かされた) ニンケ・コスターの作品も、「様式」を写し取ることで、その土地や時代を離れ、さらに素材を離れても、それが何なのか識別可能となっている。装飾の役割が非常にわかりやすかった。 逆に日本人の作品の読み取りは難しい…(もしかして、私が日本人だからわからないのかも? 違う文化圏の方が見るとわかりやすいのだろうか…)

 

山縣良和のwritten after wordsは、過去に見たアンリアレイジ等との展示でもピンと来なかったけど、今日もピンと来なかった。(よくわからなかった)

 

展覧会は2/25までです。行かれた方は、ぜひ山縣良和の作品の意図、位置づけを教えてください。。。

www.teien-art-museum.ne.jp