モノが売れないと言われる時代に消費を研究している人のブログ

広告会社で、消費について研究して発信しているサラリーマン(広告会社なのに、もらった名刺の肩書が「研究員」になっていてびっくりした笑)のブログです。

前から来る人がものすごく独り言いってるなと思ったらハンズフリー電話だった、ことから考えてみた

ハンズフリーで電話している人が増えている気がする。街中で大声で独り言いってる人がいるなと思うと、だいたいハンズフリーで電話している人なのだ。それでちょっと面白いことに気づいた。(今更~な話かもしれませんが) 今まで、街中で人とすれ違うと、目が合ったりして、なんとなく気まずい気持ちになった。ケータイで話すとき、近くに人がくると口元に手を添えたりした。でも、ハンズフリーで電話する人とはすれ違っても目が全く合わないし、隣合って立っても彼らの声量は小さくなることがない。

それは、ハンズフリーで電話する人が、イヤホンで周囲への意識をシャットアウトして、さらに電話先のほうに意識が向いてるからだと思う。なので、その場にいても意識はその場にない。そのような人が集まる場を想像すると、興味深い。ふつう、人が集まるというと、ライブやフェスなり、カープ女子なり、渋谷のハロウィンなり、同じ場所にいて目的とか意識を共有する。しかしハンズフリーで電話する人が集まれば、場を共有しているのに意識は共有しておらず、「みんな」でいるのに「バラバラ」になる。空間の共有と連帯意識とが一致しないことが起きるのだ。これから、スマートグラスほかパーソナルメディアを着用することが普通になったら、ますますその傾向が強まるのではないか。

 

で、そうした体験を経て改めて南後先生の「ひとり空間の都市論」を読み返してみると…

・~何らかの仕切りによって、「ひとり」である状態が確保された空間を、総じて「ひとり空間」と呼ぶことにする。(中略)都市の「ひとり空間」は、物理空間のみならず、メディアを介して形づくられ、経験されるという側面をもっている。

・中根千枝は、明治期以降の日本社会は、家、学校・会社などの集団・組織の「ウチ」での一体感や帰属意識が強い分、集団・組織間の関係は希薄で互いにバラバラに存在していること、すなわち集団・組織の「ソト」に出ると個人は孤立性を高める傾向にあると指摘した

・仕切りは、ウチとソトの境界を明確に遮断するのではなく、ゆるやかに仕切る装置であるとともに、社会的諸関係を調整するフィルターなのである。

・ホールは、日本人は音響的には座敷での宴会のように襖一枚あれば他者を気にしないにもかかわらず、「視覚的にはいろいろな方法で遮断をおこなう」と述べた。

ウォークマンの装着とは、都市空間から一旦閉じながら、自らのみに開かれた領域として都市空間を領有する試みなのである。

…という指摘があって、都市という多数の人がいる場・集まる場における、日本人の振る舞いは、これまでも「ひとり」が多かったのだが、これからさらに「ひとり」化していくことが想像された。

 

そうした時代が来るなら、人の集まる場、集客のあり方も変えなければいけないのかもしれない。誰かと共有しているリアルな場では「ひとり」なんだけど、実は、通信とか情報のうえでは誰かと意識を共有する「みんな」状態になるかもしれない。リアルな場と、情報の場と、両方セットで<集まる>ことを考える時代なのかと感じた。