モノが売れないと言われる時代に消費を研究している人のブログ

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都市計画法50年・100年記念シンポジウム第2弾「都市計画の領域と新展開-新たなフレームの構築に向けて-」

都市計画法50 年・100年記念シンポジウム第2弾|都市計画法50年・100年企画特別委員会|公益社団法人 日本都市計画学会

に参加してきた。それについてのメモ。

 

1人目は、社会学阿部真大先生。社会学と都市計画との接続について。

近代は、性別役割分業に特徴づけられる「近代家族」が多数を占めていた。だからこそ、都市計画は近代家族に合わせていればよかった。都市計画は普遍性をもっていた。

ところがポスト近代の今は、ライフスタイルが多様化している。近代のモデルが想定していなかったようなライフスタイルの人々(共働き世帯、おひとりさま、専業主夫プレカリアート、独居高齢者)が現れている。そうした人々をどのように包摂すればいいのだろうか?

ただし、すべて包摂すればよいのか?90年代のポスト近代論では、包摂すること自体の問題を指摘。むしろ、余白や、計画されない部分をいかにつくるかが大事では。たとえば、暴走族は学校以外の居場所を提供し、ある種の就職サポートの機能も持っていた。

無自覚に「包摂」に重きがおかれ、余白や無駄=計画されないものをどう組み込むか、という視点が不足しているのでは?

「権限移譲の場」をつくれたらいいんではないかと、私たち(研究所)はしばしば議論するんだが。権限移譲=計画しない場をつくっても、使われないケースもある。これは、やりたい人がいる場でつくらないからか、つくられた場は余白として受け止められないからか。あるいは、権限移譲がうまくできていないからか。

ところで、4名の方の発表を受けてのパネルディスカッションでは、余白はむしろクリエイションになるんではという指摘があった。包摂されなければならない人と捉えるよりも、共創のメンバーとして捉えるといったことなのかと思う。

 

2人目は、生態学の三橋さん。兵庫県人と自然の博物館の研究員。

三橋 弘宗 - 兵庫県立 人と自然の博物館(ひとはく)

自然再生はほとんど不可能。再生には10何年も、代償地は10何倍もかかる。

一方で、希少種の保全エリアとして指定されているエリアも開発されてしまう。そこで、重要な場所の事前周知と集約、治水・観光などのシナジー効果を発揮する、小規模適正技術※の引き出しを増やす、といった地域のレジリエンスを高めるしかない。

(※小規模適正技術:たとえば、5万円で、数時間で作れるような設えでもオオサンショウウオの生態を守れる。小学校の授業で小さな自然再生を取り込んだり。)

アセスメントには限界があり、都市計画法のなかで保全区域を担保する制度が不可欠。

 

3人目は、ナビタイムから独立した太田恒平さん。

移動時に使用する経路検索システム。検索してトップに表示される経路の選択率は7~8割にものぼるという。つまり、検索の表示順位が鉄道や有料道路の売上に影響する。

また、検索データにより、交通の状況や、移動需要の予測も可能になるという。ただ、現在のところ、情報提供の量的なインパクトが出せない、データからの改善案が実施されないといった課題がある。それに対しては、オープン化が解決になるのではないか。実際に、バス業界ではオープンデータの活用が進み、太田さんもインサイダーとして中から改革したことで、運行改善がなされた。

 

4人目は、保険・リスクのシンクタンクの原口真さん。

地球環境の変動が大きなリスク、経済的な被害をもたらしている。風水災による支払保険金や土砂の撤去費は相当なものになっている。

そうした状況にある現代で、ESG投資が開始(2015)。不動産開発は「財務価値>>>非財務価値」という20世紀型から「財務価値×非財務価値」の21世紀型になっていく。